2009-02-08

”Oscar Niemeyer ①”

オスカーニーマイヤーの描いた未来都市を見たくて、わざわざ
サンパウロからリオデジャネイロへは行かず、遠回りをして首都
ブラジリアへやって来た。旅行者の間では賛否両論のブラジリア
で合ったが、2年前に買った「歩き方」を読んだ時から行って
見たかったので、今回はブラジリア経由リオデジャネイロと言う
ことにして、朝の10時にブラジリアのターミナルへ到着して、
その夜の20時発のバスでリオデジャネイロへ向かうことにした。
以前に行っていた旅仲間からは、ブラジリアは一日あれば
十分観光できるよと言ってたので、猶予8時間と短い時間で
僕らはオスカーの描いた未来都市へ向かった。





オスカーニーマイヤーはリオデジャネイロ生まれの建築家で、
1952年にはNYの国連ビルをデザインし、そして1955年から
当時の大統領であったクビチェック大統領が新首都を建設する
ユートピア構想を発案して、「50年の進歩を5年で」と言う
スローガンの下で、リオデジャネイロからブラジリアへ首都が
1960年の4月に移動した。その時の監修がルシオ・コスタという、
オスカーの師と仰ぐ人で、設計に当たったのがオスカーだった。
まず僕らは市内バスを利用して、オスカーが未来を描いて設計した
建物をいくつか見て廻って来た。そこにはしっかりとオスカーが描いた
建物がどれも未来に存在するようにあり、「曲線を強調するような建物」
「誰も思いつかないような設計」とひとつひとつ釘ずけになった。
しかし、未来都市として描いたブラジリアとして見たらそれはどうだろう?
日本の新宿や横浜の桜木町の方がよっぽど未来都市に思えた。
彼達が何を夢見て描き上げたかは分からないが、実際、建築物(科学)だけ
が進歩して、人類(ブラジリア市民)はついて行くことは出来なかった、
もしかしたら初めからついて行く気も無かったかも知れないが、結局、
時代が早かったせいか、大統領が夢見て築き上げたブラジリアは
僕らの描いていた未来都市からはかけ離れていた。
それでもオスカーが描いた未来の建物は、どれも素晴らしいもので、
それは今でも街の中に点々と存在していた。

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