2009-01-18

日系人移住地”Yguazu”

1936年、日本人のパラグアイ集団移住は首都アスンシオンの南東の
ラ・コルナメから始まった。おもに農業を目的に移住した人々は、
新しい農法の開発や大豆の輸出の確立したことにより、パラグアイに
大きな貢献を果たしている。

僕らはアルゼンチン、ブラジル、パラグアイの3国の国境沿いにある町、
パラグアイのシウダー・デル・エステから40km西にある、
日系人の町”イグアス”へ来ました。
噂どおり、農協が僕らの泊まっている宿のすぐ近くにあり、
日本のお菓子から、納豆、豆腐、餅、もち米、とにかくたくさんの食材が
売っていて、驚くのは耳を澄ましていると、どこからか日本語の会話が
よく聞こえてくる、正直これにはビックリしたが当たり前のことだ、ここは
日系人の移住地ではないか、1978年には天皇陛下もこの地に訪れ
桜の木を公園に植樹していました。

僕らは今、パラグアイ、イグアス移住地にいます。
赤土と青空が良く似合う町で、散歩しているとゲートボールをしている
日系人のおじいちゃんを見かけます。
少し歩くとヒマワリの畑が一面に続いていて、見えなくなるまで
真っすぐな一本道が走っています。
どことなくか日本の田舎を思い出し、毎日自炊で日本食三昧、
NHKが見れて、相撲を毎日楽しみに見ています。

来週の月曜日にブラジルのビザを取りに行って、
すぐにブラジルへ向かう予定ですが、あくまでも予定、、、

こんな遠くまで来て僕らの先輩がしっかりと日本の強さを伝えていました。
頭が上がりません、僕らも未来のために、次世代のために、残して、
伝えなければならないことが山ほどありますね





2009-01-16

"悪魔ののどぶえ”と”肉体の悪魔”

ブエノスアイレスからのバスの移動は素晴らしく快適で、2階席までが
3列シートになっていて、食事も夕飯、朝食と2回付きで、
それ以外もコーヒー、ジュースと、しかもワイン、ウイスキーの
サービスまで付いていて、ここまでくると、もはやバスのサービス
ではなく、飛行機と変わらないサービスといって良いのだろう。
久し振りの長距離バス移動もそんなことでまったく辛くなく、
出来ればこのレベルのバスでこの先の移動も続いて
くれれば良いのだが、、、
パラグアイ、ブラジルはあまり期待出来ないらしい、残念。

プエルト・イグアスに着いたのはちょうど13日の昼過ぎだった。
その日はあいにくのどしゃ降りの雨で、僕らは教えてもらっていた宿まで
歩いて行く予定だったが、濡れてしまうのでタクシーを捕まえてその宿へ
向かうことにした。宿はドミ部屋で一人35Peso/1200円(朝食付き)、
聞いていた値段より高いが、宿のスタッフの話ではハイシーズンが始まり、
1月6日から値上がりしたと言っている、雨も降っているし、ここまで来て
宿を変えるのも悔しいので、僕らはその宿へチェックインした。
相部屋にはスペイン人のカップルと僕ら、彼らは去年日本に2週間
旅行したらしく、僕らに「WATASHI NO NAMAE HA JONASAN DESU」
と紹介してくれた。けっこう外国人と話したりしてきたが、若者で日本に
行ったことがあった旅行者は今回ジョナサンが初めてだった。

宿はWifiが飛んでいて、キッチンも広く、リビングルームには
ビリヤード台があり、しかも嬉しいのはドミ部屋にクーラーが
設置されていて、久し振りに寝苦しい夜に悩まされることなく
安眠できます。その日はゆっくりと僕らはパソコンをしたり
本を読んだり、ビリヤードを久し振りにしたりして
明日の天気の回復を信じてのんびりと時間を過ごした。

次の日起きると天気は曇り空だったけど、夕方前から晴れてくることを
期待して、僕らは昼前から1時間バスに揺られてイグアスの滝がある
国立公園へ向かった。。イグアスの滝はマチュピチュ、ウユニ塩湖と続く
南米の三大スポットの一つなので、観光客の数も半端なく多く、
僕らのような旅行者以外にも仕事を引退して来たご年配の旅行者や、
ツアー団体もかなりの割合で訪れていた。


公園内の移動手段は電車が走っていて、その電車をうまく使いながら
イグアスの滝を見学するが、公園内がものすごく大きいので
結局ほとんどが歩きで、全部見て廻るのに6時間近くかかった。
そしてイグアスの面白アトラクションとして、
滝の下までゴムボートで行くツアーがあって、みんながびしょ濡れで
戻ってくるという日本では考えられない企画があり、
僕らは前もって水着を着て来ていたので、濡れる想定で
参加してきたが、滝シャワーは思ってた以上に冷たく寒くて、
上から降ってくる水は目を空けているのがかなり難しいほど激しかった。
ある意味拷問ツアー的な感じもしたが、
それでも何回も滝に突っ込んでくれたり、いきなり早く走ったりして、
わずか20分の時間を十分すぎるサービスで僕らお客を大満足に
楽しませてくれた。

初めは何ヶ所か見て周り、正直こんなものかと思ってしまったが、
徐々にスケールアップしていくイグアスの滝に、
さすが”悪魔ののどぶえ”と呼ばれるだけ、
スケールの大きさは言葉では表せないほど大迫力、大音響で、
自然の作り上げた力にあっけにとられてしまった。

気がつくと天気は青空に変わり、最後の一番の観覧スポットでは
目の前に虹が浮かび上がっていて、今回の旅で何回も見てきた虹だが、
この時見た虹が今までで一番はっきりとした7色の色でアーチを
描いていた。「ついに終わった」、
南米の三大スポットを全て見終わり、本当に素晴らしい景色と、
地球の凄さを僕らに教えてくれた。
改めて自然の作り上げた驚異を僕らは進化する時代の中で
守っていかなければいけない気がした。
いつか生まれてくる子供の為にも、未来の地球の為にも、
僕らは自然を守っていく義務を背負っているのだ。

そして次の日、僕らは本当ならばブラジル側からも見る予定だったけど、
すぐにも雨が降りだしそうな天気だったので、その日のうちにパラグアイへ
向かうことにした。
いよいよ、南米の横綱ブラジルがすぐ目の前までやって来ました。

PS、”肉体の悪魔”こと鈴木君は大学時代にアメフトをやっていたので
   筋肉がすごく、彼は世界一周券を使って旅をしています。
   リンク先に”ぐるっと地球一周”をアップしました。 
 

2009-01-15

VICTORIA 2


ブエノスアイレスへ来て初めての海外での年越しを経験して、
12月26日から18日間お世話になったVictoria2をいよいよ
出る日が来ました。
僕らの次の目的地は「イグアスの滝」で、その後にパラグアイへ
寄り道をしてブラジルに向かいます。



いろいろと歩いたブエノスアイレスの街中、
大都会で排気ガスと喧騒に包まれ、けっして綺麗とは思えない
混沌な街並み、首都という大都会のせいで貧富の差が生まれ、
決して治安が良い街ではなく、僕らも2回ほど被害は何もなかったが
嫌がらせ?パーマ液とマスタードをかけられ、それでもたくさんの
旅仲間に再会できたり、ここで新たに出逢った旅仲間も出来た。
そう考えるとやはり楽しかった思い出ばかりしかなく、
僕らは本当に人に恵まれながら旅をしているのだと思い、
これからも出逢いと別れを繰り返し、たくさんの素晴らしい思い出を
作って進んで行きたいと思った。

ここまで来ると中南米での旅も大半が終わりに近づき、
この後のイグアスを見たら、パラグアイは寄り道なので、
本当にこの大陸でのスペイン語圏内は終わってしまいます。
と言っても僕らの旅はまだまだ続き、人生全てが僕らにとって
旅みたいなもんだからそんなにセンチにはならないけど、とにかく世界が
もっと平和で、日本が、いや全世界の景気が回復してくれると嬉しいです。
したら、日本に帰っても仕事があるのかな?(笑)

ブエノスアイレス、白黒の世界、壁に落書きされたメッセージ、
公衆電話にはピンクチラシ、肉とワインと売春婦、タンゴでの誘惑、
貧富の格差、場末のバー、浮浪者に売人、パフォーマー、ラジオタクシー、
眠らない通り、壁に破れかけのポスター、狂喜と狂喜、

久し振りに感じることが出来た大都会ならではの空気、
Buenosu Aires "良い空気”
楽しかった18日間です。

「ボンボネーラ」






1905年イタリア系移民を中心に結成されたボカ・ジュニアーズ
国内リーグ23回、コパ・リベルタドーレス(南米クラブ選手権)6回と
数々の輝かしい実績を残してきた南米屈指のサッカークラブである。

今シーズンは12月23日に優勝を果たし、僕らはちょうどウスアイアに
いたけれど、その時も町中では優勝が決まった瞬間に車のクラクションや
旗を持った人達が町中を踊りながら喜びあっていて、
アルゼンチンのみならず世界的に絶大的な人気チームなんです。
今はシーズンオフで試合が残念ながら見れないので、
僕らはスタジアム見学をしてきました。

スタジアムは「ボンボネーラ」の愛称で親しまれ、チームカラーの青と黄色で
カラフルに彩られていて、スポンサーのコカ・コーラーもスタジアム内の
大きな看板には世界で一つだけの青いコカコーラーの看板を使っていた。

正直の感想は、コカコーラーやナイキなどの世界的なスポンサーが
ついているわりには、あまり施設的に思ったほど整っていなく、
選手の控え室は空調設備がなくファンが廻っているだけで、
ミーティングなどで使う黒板なんかもかなり使い込まれていた。
グランドに関しては、今はオフだからなのか芝の手入れができていなく、
剥げている部分がたくさんあった。
それでも観客とグランドの間はほとんどなく、
本当に目の前でプレーを見ることが出来てかなりの盛り上がりを
見せてくれるのだろう。
この場所でチームとファンが一体となって戦っている姿を想像する
だけで、俺は鳥肌がたってきて、試合を見れなかったことが
かなり悔しいです。
行った人の話を聞いたけど、とにかく全てが白熱していて、
心からファンに愛されているチームらしいですが、
ある意味チームもファンも命がけらしいですよ。(笑)

Caminito

ブエノスアイレス最後の観光としてボカ地区のボカスタジアムに
向かう途中にカミニートと呼ばれる一画があり、
道に並ぶ家々の壁やテラスや屋根を原色を使って大胆に塗り分け、
この始まりを作った人はボカ生まれの画家キンケラ・マルティン
という人で、その才能と感性をかわれて世界的に有名になった画家です。

もともと当時のボカは、造船工場や賭場があり、労働者や船乗りなど、
大勢の人達であふれていて、そんな男達を相手にする安酒場やバーも
この辺りに密集していて、あの官能的なアルゼンチンタンゴのステップは
そんな暗いバーの片隅から生まれたらしい。

ただし、今のボカは治安はあまり良くはなく、この一画から離れると
途端に雰囲気が悪くなり、一人歩きや夜道などは気をつけなければ
いけないらしい。それでもカミニート目当てに多くのツーリストが
観光に来ていて、青空の下にたたずむカラフルの家々をみたり、
画家の卵達の作品を買ったり、それなりに盛り上がっていました。

そしてついにブエノスアイレス最後の観光、ボカスタジアムへ
行って来ました。

2009-01-13

「Colonia del Sacramento」

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスのちょうど対岸に位置する
ウルグアイの小さな港町、「コロニア・デル・サクラメント」
1955年に古い町並みがユネスコの世界遺産に登録され
ビーチリゾートとしても注目されている場所。
ただし少し前の話ですが・・・

しかし旅行者からしては賛否両論で、良かったと言っている人もいれば、
行かなくてもよい場所だよ、と言う人もけっこういた。
僕らの泊まっている宿の情報ノートには迷うなら「行く必要なし」と
書かれていたが、僕らの行った意見ではそんなことはない、
雰囲気の良い町並みで、日帰りでも行った方が良い気がした。


クラシックカーが町を走っていたり、中米では良く見かけたビートルも
走っていて、行った日がちょうど天気も良かったせいか、
ポプラの木の並木道が本当に気持ちの良い夏を感じさせてくれた。
ビーチにも行ってみたが、情報では週末しか盛り上がっていないらしく
閑散としていたが、何人かの観光客はビーチに寝そべり楽しんでいた。
しかし、ここの海の水はブエノスアイレスからずっとそうなんだけど、
海水が泥水と言うか茶色の色をしていて、
ここのビーチだけは泳ぐ気にはなれなっかた。

偶然二人して歩いていると、前から日本人の一人の旅行者が歩いてきて、
彼は2週間でブラジルとアルゼンチンを観光しに来ていて、
ちょうどランチを食べようとしていたので、3人でまだ食べたことのなかった
パリジャーダを食べに、長綱夫妻から美味しいと聞いていた情報のお店で
パリジャーダを食べました。
噂通りボリュームは満点で、少し脂っこさ気になったけど、
血入りソーセージやチョリソや臓物系を美味しく食べることが
出来ました。(情報ありがとうJ&M)

ランチを食べた後は、田辺君は船の時間が早いので別れを告げ、
僕らはお腹いっぱいのまま、ひたすら町を歩き回りました。
石畳が続く旧市街で路地に入ったり、灯台に登ってみたり、
郵便局へ行ってお互いの両親に手紙をだしたり、
思った以上にあっという間に時間は過ぎてしまった。

人が感じることはみんな違って、僕らはコロニアは人が言うほど
悪くは感じなく、確かに何もないけど町を散歩していて
本当に気持ちの良い夏を感じさせてくれた。

ポプラ並木、
クラッシクカー、
場違いな枯葉、
茶色の海とビーチ、
石畳とランタン、
パリジャーダ、
サン・フランシスコ修道院、
灯台と旧市街、
植民地略奪戦争跡、
どれも全て暖かい風に包まれていた。


「Uruguay」の語源はグアラニー語で「鳥の住む川」
国土は日本の半分で人口は346万人と横浜市民より少なく、
大国に挟まれながら、スペイン、ポルトガルの植民地時代を受けてきた。
1828年には独立を果たすも政情は安定せず、
1985年にようやく民政へと移行、90%以上が牧場である。

2週間いるブエノスアイレスとは全くの違う空気に触れ、
本当に気持ちの良かった時間をコロニアで過ごすことが出来た。

2009-01-12

A Day Trip at Uruguay on the ship

ウルグアイへ日帰りで行ってきました。
本当は1泊の予定で行くつもりだったけど、
週末にブエノスへ戻ってくる船のチケットが売り切れで、
僕らは月曜日にイグアス行きのバスのチケットを買っていた為、
急遽、日帰りで行くことになりました。

ブエノスアイレスから船で3時間、
僕らの行きたい街「コロニア・デル・サクラメント」に着くのが
12時半で、帰りの船が19時半なので、
滞在時間約7時間と短いけど、街自体が小さな街なので
十分観光は楽しめるらしいです。
それ以外にも船の出入国が僕らは初めてなので、
少しそれも楽しみにしていました。

船はかなり大きくて綺麗で、車も100台くらい乗れるので、
搭乗人数は500人位いたのかな、(あくまでも予想ですが)
バカンス気分の若者から家族連れ、僕らのようなツーリストと様々で、
船の中には免税店からレストラン、デッキにもバーカウンターがあり、
けっこうみんな船の中で楽しんで時間を過ごしていました。

僕らは日帰りなので、行きはここぞとばかりにクーラーの効いた部屋で
寝て過ごし、体力を温存していましたが、
帰りは涼しく夕陽も見れるし、月が綺麗だったので、
二人してデッキで時間を過ごしました。


夕暮れになるとデッキは写真を撮る人達でいっぱいになって
船の上から見る夕焼けは本当にオレンジ色で、海に反射している
陽光は素晴らしく綺麗に海の彼方へ沈んでいった。



太陽が沈んだ後も、今度はブエノスアイレスの街が近づいてきて、
街中を歩いている時とは別の顔で僕達を迎えてくれた。

正直、こんなにも近代的な光景をしたブエノスアイレスを
見せてくれるのだから、ウルグアイから来た人達は、
ここが大都会だと思うのだろう。

今回は船で初出入国をしてきたが、飛行機とは違い
なにか寂しさと暖かさの両方が交じり合った感覚で、
もしこれが初めての場所だったら、もっと不思議な感覚に
包まれていたのだと思う。
僕らは旅行者だけど、きっとこの船にはウルグアイから出稼ぎや、
初めてアルゼンチンへ渡ってきて、この土地で何かを始めようと
して来た人達もいるのかも知れない。