ラベル world tripper PERU の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル world tripper PERU の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2008-11-16

PIZZA DE LAST NIGHT at PERU



ペルー最後の夜にみんなでイタリアンレストランへ
食べに行きました。

この店は実は前日の夜に食べに行ったら、満席で
入れなかったので、今日はOPENの19時前から行き、
コーヒーを飲みながら待たせてもらい、ようやくピザを
食べることができました。

僕らが注文したのはピザ3種類とクリームスープで
クリームスープは何種類かあるので僕らはとりあえず
ほうれん草のクリープスープを頼んでみましたが
そのほうれん草のクリームスープがびっくりするくらい美味しく、
暖かくクリーミーで味もしっかりしていて、日本でも
このレベルのスープは飲んだことがないくらい美味しかった。
ので、追加でパンプキンスープも頼んでしまい、
気が付いたらスープだけでお腹がふくれてしまった。





それでも、ピザが来た瞬間、とても美味しそうで、
ひとり4切れ計算のピザが気が付くとほとんど無くなり
僕らは腹いっぱいに美味しいピザを久し振りに食べました。

これで僕らの7カ国目のペルー滞在は無事に終わり、
明日はボリビアの国境目指して朝から移動します。

2008-11-15

昼食はキヌアスープと焼きマスのプレート


僕らはウロス島を後に、さらにボートで2時間揺られ、
タキーレ島にやって来た。

この島は織物などの手工芸品と農業を中心に
約1600人が生活を送り、いまだに昔のままの生活を
続けるケチュア民族の島だ。
島内は電気も水道もなく、自給自足の物々交換の
世界で、近代に入ってからは政治犯の島流しの地となり、
約50年前に解放された。





島にはツーリスト用にレストランが数件あるが、出される料理は
みんな同じ内容で、値段も一律15sol/500円と決まっている、
共生の意識が高く、公共事業も平等に行うミタというシステムで
インカ時代の名残が見られる。

僕らはこの島で昼食をとることになった。
内容はキヌアと呼ばれる穀物で出来たオーガニックスープで
日本ではあまり知られていないけど、体に優しく健康的で、
俺はパンに浸しながら食べたけど、本当に美味しいスープだった。
そして、プレートは焼きマスとポテトフライトと白いご飯で、
焼きマスもガーリック等で味付けされ、それにレモンを絞って
食べると、これまた本当に美味しく、久し振りに新鮮な焼きマスを
頂きました。
値段的には少々高めの設定だが、料理もすべて美味しく、コーヒー
まで付いてこれが島人に還元されるならば、少々値段が高くても
全く問題なく、僕らはお金以外にも持ってきたお米をおいて
昼食をすましました。




昼食後は島内を散歩、島と言っても島自体が小さな山で、
標高も3800メートル近くあるので、少し階段を登っただけで
息もすぐに切れ、ここんとこずっと標高の高い所(富士山の山頂)
にいるけど、相変わらずに慣れずにすぐに疲れてしまう、

それでも僕らはヘトヘトになりながら階段を登っていくと
そこに広がる景色は、山の斜面は段々畑になっていて、
リャマや羊などの家畜も放牧され、まるで絵に描いたような風景が
このタキーレ島にもあった。





そして、桟橋へ向かって歩いていると、
ところどころで、織物をしている島人を見かけた、
島の人々が織る織物はすべて手作りで、繊密さ、柄、色、
とても良く出来た織物で、僕らもお土産に買おうと思ったけど
お金を両替してくるのを忘れてしまい、買えずに終わってしまった。

ティティカカ湖にはまだこれ以外にもいくつかの島があるが、
僕らは一日ツアーなのでこの2つの島を見学してプーノに
戻りました。

こうして、現実に島に生活している人達を見ると、
正直複雑な気持ちになるが、僕らツーリストもルールを
守り、こうしてフルーツやパンやお米を持っていくことで
島人達の生活の為になるならば、行っても良いのかも知れない、

昔からの風習を守り、島で生きている島人達は、いったい
どんな目で僕らを見ていたのだろう?
生きていくための一部なのか?


不思議島 Isla de Los Uros(ウロス島)


プーノから小型船に40分くらい揺られ、ウロス島まで来ました。
この島は島と言ってもトトラと呼ばれる藁を積み重ねた
浮島で群生するトトラのなかに、大小合わせて40ほどの
島が浮いています。

島には700人が生活を送り、学校、教会もあり、
一応、宿泊施設、カフェバー、公衆電話(一つ)も
ツーリスト向けに存在する島です。




僕らは今回一日ツアーで来たので宿泊はしませんが、
とにかく島に降り立ってみると、本当に島ではなく浮島で、
歩く感覚も地面とは違いあまり安定感も無く、本当に不思議な
感覚でした。

これは現実なのか?絵本の世界なのか?

住んでいるウル族の衣装もとてもカラフルで可愛く、
スカートはフリフリで、髪の毛も黒髪の三つ編み、
女性はとても可愛らしい感じでした。
僕らはプーノで買った、果物や鉛筆を子供達に
あげたり、話をしたり、島内を散歩して、絵本の世界に入った
気分で楽しみました。

青空と白い雲とティティカカ湖、島々を渡るトトラの船、
全てが目の前に風景として流れるこの島は、
いつまでも変わらずに流れていくのだろう。




もちろん、自給自足ではやっていけない分、こうして観光客を
相手にお土産とかも売ってはいるけど、僕らに嫌な顔も見せず
迎えてくれたウル族は本当に絵本の世界の人達だと思った。

少しな時間だったけど、僕らを暖かく迎えてくれてありがとう、
絵本の世界に入れ暖かな気持ちになれたのも、この島が
とても穏やかな空気が流れ、ウル族のおかげだと思います、
もちろん、ウロス島で生活することがいかに厳しいかも伝わるけど、
こうして昔と変わらずに生活を送っているウル族がいつまでも
絵本の世界へ案内してくれ、穏やかな空気が流れてくれる事を
願って、僕らは次の島タキーレ島へ向かった。




PUNO



マチュピチュも無事に楽しみ、僕らは次の目的地プーノ
へやって来ました。

その前に日本から救援物資が無事に届きました、
この場を借りてLUZeSOMBRA祭家そーし、ヒロ、
ZOOちゃん、金子家、本当にありがとうございました。
これでまた一段とパワーアップして旅を続けられます。




プーノはペルー最後の町で、俺が前回旅した中で
一番好きな場所でもあるティティカカ湖がある町です。
標高は3855メートルと富士山より高く、バックパックを
背負って歩くとすぐに息も切れてしまいます。

僕らはプーノで一泊して、次の日に行く、
島巡りの為に、果物と鉛筆を買い込みました。
これは自給自足している島人へ持って行く為のもので
これを子供達に配ります。

とりあえず、一泊しかしないので町をぷらりと歩き、
ティティカカ湖の湖畔を眺め、明日から始まる
ティティカカ湖島巡りの挨拶をして、宿の目の前にある
レストランで2.5sol/80円の夕食をすまして就寝しました。


2008-11-09

空中都市Machu Picchu



マチュピチュ(年老いた峰)・ワイナピチュ(若い峰)
なぜそう言う名前なのか?

15世紀前半スペインによりインカ帝国が征服されると、
スペイン軍はインカの都市をことごとく破壊し尽くした。
しかし2400メートルに造られたマチュピチュはスペイン軍に
見つかることなくほぼ無傷のまま残されていた。

そして400年が過ぎ去って、1911年ハイラム・ビンガムに
よって発見、ただし今はビンガムより9年早くペルー人が
発見していたとも言われている、





人口最大750人、この都市は通常の都市と違い、実は
インカの王族や貴族のための避暑地、別荘といった種類だった。
そしてなぜ滅びたかは、スペインの侵略を恐れ、住民が自ら
マチュピチュを焼き払った説が最近指摘されている。






とにかく僕らは昨日の移動とワイナピチュの疲れで、
この広いマチュピチュを見るのにだいぶ疲れ果ててはいたが、
この土地に石で作り上げた石材建築というのは本当に驚くほど
素晴らしく、今でも水が流れている石で作り上げた水路、家、神殿
どれもきれいに存在して(もちろん修復もしていますが)いかに
高度な技術を持っていたのかが分かった。

ここには写真が無いけどクスコの街にもインカ時代の石材建築
があり、「カミソリの刃を1枚すら通さない」と言われている
精巧に作られていた石壁もあり、12角、14角といった石が
ピッタリと寸分の隙も無く積み上げられていた。



とにかく360度山に囲まれ、その中心に浮かぶマチュピチュは
まさに空中都市そのもので、インカの王族のセンスを俺はかなり
好きになった、ただ単にわがままに景色が圧巻だからこの土地に
作ったとか、高地で切り立った崖下が両側に存在し、太陽観測
に最も適した土地だからとかはもう謎で良いのではないか、
今はこうして世界中の観光客がここへ訪れ、みんなが何かを思い、
想像して感動する、それ以上何も生まれるものはない、
あとは考古学者や研究者の楽しみだけだ、

俺はとにかくインカ文明の高度な石材技術に感動はしたが、
それ以上にこれを探し出した、ある意味冒険者の
ハイラム・ビンガムはマチュピチュを発見した時
いったいどんな気持ちでマチュピチュを見つけ出し
興奮し感動に浸ったのか、俺はその時の気持ちの方が
とても気になった。

こうして、今でも存在するマチュピチュの謎はきっと永遠に
見つからないだろう、
なぜなら、インカ帝国は滅びて、記録が存在しないから、
そして、あとは学者の意見のみだけだから。


2008-11-08

TOP OF THE WAYNAPICCHU


昨日の晩は激しい雨が降っていて、少し天気が心配だったけど
無事に雨は上がっていた。

早朝、4時半、目覚まし時計は鳴り響いた、
今日はいよいよマチュピチュへ行く日、雨も上がり
4時半と言う早朝にもかかわらず、外では話し声が聞こえ、
僕らもすぐに支度をして、昨日の夜のうちに買っておいた
ジュースとシリアルバーを持ってマチュピチュへ行くバスの
停留所へ向かった。

さすがマチュピチュ、時間は朝の5時にもかかわらず
どんどん集まってくるツーリスト、しかもペルー全土のストライキのせいで
今日は空いていると予想をしていたが、どんどんツーリストの数は
増えるいっぽう、みんな考える事は一緒なのか?
ストライキと言う事で僕らは今日は空いていると予想していました。

昨日の疲れは大丈夫か?
早く寝たおかげで思った以上に体も軽い、マチュピチュへ着いて
一番に登るワイナピチュの山もこれなら大丈夫?と
前向きな気持ちに切り替え、僕らは朝食のシリアルバーを
食べながらバスを待った。




バスはいろは坂とも思わせる道をひたすら繰り返し登り、20分くらいで
マチュピチュの入場口に着いた。

遂に来た、周りを見まわすと360度山々に囲まれ、
何故こんな場所に都市を?どうしてこんな僻地に?
人間に出来ないことは無いのか?まだ入場していないにもかかわらず
インカ帝国のパワーを入り口で感じた。

そして開園と同時に僕らは遂にマチュピチュへ足を踏み入れた。

僕らの最初の目的は400人限定登山できるワイナピチュ、
この山はマチュピチュの直ぐ前に聳える山で、この山にも
遺跡が存在して、見張りとしても使われていた山らしい、

朝の7時に200人、次は10時に200人だけが登る事ができて、
途中天気が悪くなってきたりすると、下山させられる山で、
僕らはその山に登るために直ぐに登山口へ向かった。





そして整理番号21をゲットして7時過ぎから僕らは登り始めた。
1時間強で登れるこの山は想像以上に厳しく、実は俺は前回も登って
いるので、いかに厳しいかは知っていた、みんな大丈夫かな?
昨日の疲れは平気かな?そんな心配は何処へいったのか、
麻実子も予想を反し、どんどんみんなで登って行った。

登りきった時は、みんな眼下に広がるマチュピチュを眺めたら
疲れなどぶっ飛び、その圧巻的な存在に言葉を失っていた。

360度の山々、スペイン人が侵略しても見つけることが出来なかった
伝説の遺跡、空中都市とも呼ばれ、インカ帝国最後の都市でもあった。

たくさんの謎に包まれたマチュピチュをこうして眺めていると
もう答えなど見つからない気がする、
この場所に建てたこと自体が全て謎で、俺に言わしてもらえば
きっと宇宙人と一緒に作ったのではないかと思ってしまう、

絶対にそうだ、インカ人は宇宙人と友達だった、
そうでなければこんな場所に考えられない、
なので、きっといつまでも謎のままのマチュピチュで、
インカ帝国のままであってほしい。

とにかく山頂は周りが全て見まわせて、遠くに雪が積っている
山も見ることができる、世界中の旅行者がこうして集まる
マチュピチュはきっと永遠に不滅でしょう。

厳しいと言われていたワイナピチュも全員で登ることができ、
あとは残す所マチュピチュ探索、さすがに俺もみんなも疲れが
出てきたのか、一度入り口に戻り、かなり値段が高かったけど
少し早い昼食?を食べ、休憩をとり、そして再び
石で作り上げた都市マチュピチュへ向かった。


WALKING ON THA RAIL


いよいよ、南米のハイライトの一つマチュピチュへ出かけた。
行き方は何ルートかあるが、僕らはバックパッカーがよく使うルート、
コレクティーボを乗り継ぎ、途中から10キロ、3時間半線路の上を
歩くコースを選んだ。



まずは一緒に行ったメンバーを紹介します。

リマで再会した、タビゴコローズ
まずはホームページ大賞の個人部門、最優秀賞おめでとう、
その節はご馳走様でした、今回もクスコで再会し、
再び一緒にマチュピチュへ行くことへ、
やはりタビゴコローズ無しでは!!!

さらに、タビゴコローズがタイのパンガンで出逢った
美容師パッカーのヒデ君と彼女の奈緒ちゃん、
僕らはここで初対面、
二人共世界各国で髪の毛を切ってきて、彼らは
西回りで廻ってきています。
リンク先にアップしたのでぜひ覗いて見てください。



まずはクスコを朝の8時のバスで所要4時間半揺られ、
サンタ・マリアと言う村まで行った。
もちろんアンデス山脈を走るので、標高が一番高い所で4200m
まで上がり、空気が薄いのがよく分かるし、植物も一気になくなり、
いかに標高が高いかを見せつけられた、
それでも、所々に家があり、この空気の薄さと寒さの中で
生活している人達を見ると言葉が何も出ない・・・
本当に強い人たちだ。

そしてサンタ・マリアで乗り換え、次はペルー鉄道の駅でもある、
水力発電所まで2時間同じく揺られ、デスロード?とも思える
下が崖で、車が一台しか通れない舗装されていない道をひたすら
走り続けた、しかも所々で崖崩れの後があって、運が悪ければ僕達も
崖崩れの餌食になってしまうのか?
なぜ直さない?きっと何回か事故が有ったはずなのに?

そして合計7時間弱、車に揺られ、体力的にも疲れてきたなか、
15時過ぎから僕らは線路の上を歩き始めた。






バスの疲れがあるはずなのに、それでもみんなテンションは高く、
疲れなど気にせず、今までの旅の話などしながらひたすら歩いた、

途中、列車が通り過ぎたり、線路の上で休憩したり、
逆から歩いてくる旅行者とあとどれ位か?とか話しながら
歩き続けた、幸いだったのは思った以上に辛くない?
このまま行けるかと思ってきた矢先、残り1時間位の時に
遂に雨が降り始めた。

一応全員カッパを用意してきたのでみんなそれを着て、
再び歩き始めたが、ここへ来てバスの疲れと雨の冷たさ
で会話も無くなりかけた時、ようやく町らしきものが見えてきた。

そこがマチュピチュ村(アグアス・カリエンテ)、
ここで一泊して早朝5時半の始発のバスで
マチュピチュまで向かいます。

宿も情報を聞いていたのですぐにそこの宿にチェックインして
宿の裏に聳え立つ山々の後ろにひっそりと潜む、
空中都市マチュピチュを前にして、僕らはハードだった一日の
疲れをホットシャワーを浴びすぐに眠りについた。

いよいよ明日はマチュピチュだ、
その夜はずっと大雨が続いていた。