2008-10-13

ありがとう、パトリシア一家





パトリシアさん一家に本当に数日ですがお世話になりました。
ありがとうございました。

僕ら貧乏旅行者をここまで暖かく向かいいれてくれ、
たくさんのご馳走、たくさんのアドバイス、何から何まで
こんなにも親切にしてくれたこと、絶対に忘れません、
本当に素敵な思い出が出来ました。

心からありがとう。

この先もまだまだ続きますが、この気持ちを忘れずに、
みんな無事に楽しい旅を続けていきます。
そして、約束した浅草、「あそご」での再会、
楽しみにしてますね。

みなさんの家族健康、無事の出産、素晴らしい日々が
続く事、みんなで願っていますね。

ありがとうございました。パトリシアさん。

wonderful time,wonderful foods!!!


その日は、3男3女で、ランチを食べに町を歩いていたら、
どこからか「日本人ではない?」と声が聞こえてきた。

その人たちは俗に言う日系ペルー人の家族で、
父親が日本人で母親がペルー人、
トルヒーヨに両親が住み、子供達5人はバラバラで生活している、
日本人の旦那を持つ娘、
ラスベガスでディーラーをしている娘、
とにかくインターナショナルな家族構成で、
今は父親が体を壊し、
家族みんなが集まっていた時らしい、

僕らはそんな家族と偶然出逢った。

ランチを食べたら、家まで遊びにおいでと、言って、
僕らに家の場所を教えて、その場で別れた。
あっという間の出来事だった。

そう言えば、こうようなパターンで出会って
犯罪にあったと言う話を聞いたことがある、
「旅行者のルール」、
何かあってからでは遅い、、、、

俺は、人を疑うこの瞬間が本当に嫌だ、
海外旅行をしてると、人をすぐに疑い、慎重になる
癖がついてしまう、別にいけない事ではない、
むしろ大事だと思う、
でも、相手を傷つけてはいけない、瞬間の判断が必要だ、
俺は恥ずかしながら、深く、上手に出来ない、、、
すぐに大丈夫、と思ってしまう。
本当は疑り深いはずなのに、、、、、、

「どうする?」

家まで教えてくれ、優しそうな家族だった、
しかも俺らは取られる物は何も無い、
「満場一致」、大丈夫、
そんな事で、僕とゲンくんは別件があったのでお邪魔せず、
マサと女子3人で家へ遊びに行ってきた。

話が長くなってしまったが、ここからが急展開、
本当に偶然に出会えた家族はとても素晴らしい家族で、
その日から僕らをこんなにも暖かくしてくれた。

ドライブしながら観光案内をしてくれたり、
夜には超高級レストランに連れて行ってくれたり、
家ではたくさんのお菓子や日本茶、
しかも冷ヤッコまでご馳走してくれたり、
まるで家族のようにしてくれました。

本当にみんな感謝の気持ちで一杯です、
パトリシアさん、本当に何から何までありがとうございました。

そして、何よりもあの時のセビッチェの味は忘れませんよ!!!
本当に美味しかった、

全て6品が最高の味!

パルメザンチーズをベビーホタテに乗せた
オーブン焼き、フレッシュ生蛸の炭火焼、
マスのムニエルのオレンジソース添え、
マスの中にはシーフードが入ってました。
白身魚のセビッチェ、ペルー料理のロモサルタード、
僕らが屋台で食べているのとは食材、味付けが断然違い、
美味すぎます、、、、
揚げ物アラカルト、プリプリの海老もありました。
そして、いつもビンで飲んでいるインカコーラーが
氷の入ったグラスで、、、、

夢のような時間がここでは流れていた、

綺麗なコロンビア人の奥さんを持つ、N.Y出身のオーナー、
兼シェフのリカルド、本当に美味しかったです。
ご馳走様でした。

そんな訳で、出会って半日でこんなにもしてくれたパトリシアさん、
あなたの優しさは、家族の親切さ、決して忘れません、
来年、浅草で「あさご」で飲みましょう、

本当に心からありがとうございました。

僕らみんな、最高の思い出になりましたよ。




2008-10-10

荒野を走る!


ペルーに入って景色が一変した。

バスもグレードアップしたし、
食事のレベルも物の豊富さも全てがアップした。

そして今度は、アンデス山脈を走っていたかと思えば、
今はペルーの荒野をひたすら走っています。

バスもうるさい音楽が止まり、今はゆっくり映画鑑賞、
途中から乗ってくる現地人もいなくなったので、
ゆっくり、映画を見ていられるし、
ペルーはメキシコと同じもう一度行きたかった国の一つ、
とにかく、この先が楽しみだ。



昨日は、23時発の夜行バスでロハからピウラに向かい、
途中、夜中にペルーの国境で入国手続きで起こされ、
朝の7時にピウラに到着。

今度はピウラ9時発のバスでチクラヨに12時に到着、
以前来たことがあるので、少し思い出に浸りつつ、
みんなで昼食、しかも、5sol/150円で、シーフードスープ、
バジルソースの豚肉つきパスタ、フレッシュジュース、ゼリー、と
全てが美味しく、あまりにも美味しかったので、もう一泊しても
良いと思ったほどの美味しさだった。

その後に14時発のバスでトルヒーヨまで向かい、
到着したのが夕方17時、
昨日、ホテルの宿をチェックアウトしたのが14時、
所要時間27時間の大移動、

南米はでかいから、進む時は一気に進まなければならない、
とにかくこれからは移動との戦い、
でも大丈夫かな、なぜならば俺のi podは160GBで、
曲を3万曲近く持ち、映画もたくさん入っています。

文明の力ですがかなり助かっています。
そうそう、俺もそうですが、今は旅行者の大半が
i pod、携帯電話、パソコンを持っています。

旅のスタイルがかなり変わってきてます。
どこまで進化するのでしょうね?

夜のバスターミナル、ロハ


ちょうど月が半月で、月光が雲を照らして満月に見えた夜、
僕らはトランジットで寄った、ロハのバスターミナルで
ピウラ(ペルー)行きのバスを待っていた。






待ち時間は7時間、

次の目的地に着く時は日中と言うのが最低条件、
なぜならば暗いと危ないと言う事もあるし、明るいうちに
宿を見つけたい。
さらに夜行を使う分で、僕ら貧乏旅行者は
宿を一泊分浮かす事が出来る、

そんな事で、移動する時は夜行バスを8割方使っている。

夜行だと景色を楽しむことが出来ないけど、
俺は夜の街を抜けている、あの誰もいない静けさの街を
見ているのが好きになっていた。

夜になると雰囲気をかもしだし、
落書きされた壁と壊れかけたレンガ作りの家が
オレンジ色の街灯に包まれている。

昼間のざわめきと夜の静寂さ、
太陽の日差しと、オレンジ色の街灯、
昼間寝ている犬が夜になると街を徘徊して
縄張り争いをしている。

夜は全てを対極にして景色が流れていく。

俺はそんな寂しさの夜の街をひたすらバスの中から
眺めて、朝が来るのを待って眠っていた。

宿が僕ら旅行者の旅の停留所ならば、
バスのターミナルはなんだろう?

今、僕らはペルー、トルヒーヨに居ます。

宿の下の階からは、
おじいちゃん、おばあちゃんのバックパッカーが
旅立つので、「蛍の光」のレゲエ版が流れてきた。
もちろん大音量のキーボードの生演奏、
何処まで行くのか知らないけど、最高の旅立ちだろう。


ペルーはエクアドルに比べて、ご飯の美味しさと物の豊富さに
驚いています。とにかく飯が美味い、お米がモチモチで
日本米に近い、中華屋も沢山ありレベルが高い、
本当に助かります。


南米一の観光大国、マチュピチュ、アマゾン、チチカカ湖、
どの位かかるか想像が出来ないけど、
目標2ヶ月でボリビアまで目指します。

2008-10-09

長寿の村ビルカバンバ


エクアドル、第三の都市クエンカからアンデス山脈を走り、
ガイドブックにはほとんど情報が載っていなかった村
ビルカバンバへやって来た。

ここはエクアドルで長寿の村として知られ、
標高も1500メートルと、キト、クエンカに比べて
低い位置にあり、気候も春らしく暖かく、
100歳を越える、お年寄りが多く住んでいることで
有名な村だ。



僕らが着いた時は夕暮れ時で、
山々に囲まれた、本当に小さくて閑散とした村に感じた。

宿は安宿からホテルまでいくつかあり、、
郊外には、僕らは値段が高くて泊まれなかったが、
山の中腹にホテル?ロッジが存在して、
レストランからスパ、マッサージまで出来るという、
ロッジもあった。

ビルカバンバはゆっくりするにはとても良い村だ。



村の中心を散歩しても20分くらいで、
家の前にはベンチやイスが置いてあり、
最初は気づかなかったけど、よくよく考えると
お年寄り達が昼間に座っている光景を良く見かけた。

そして、思っていたより若者も住んでいて、、
子供から大人まで、みんな仲良さそうにしているのが、
伝わってくる。

昼間はイスにお年寄りが座り、若者達は立ち話しをして、
夜になると、セントロの周りに青年、大人達が集まり、
何を話しているのか分からないけど、色んな場所で
そんな光景を見かけた。

正直に言うと、何もない村だ、

遊ぶ所は何も無い。
Barもきっとツーリスト向けの値段設定なので
村人たちには行けず、
あるものと言えば村を囲んでいる山々だけだ。

それでも村は存在して、みんな生きている、
子供からお年寄りまで、
みんなが親切で、とても良い顔をしていた。



僕らはビルカバンバで4泊して、
ゆっくりとした時間を過ごした。

僕らは何かをするのではなく、
毎日村を散歩したり、読書したり、
麻実子は編み物をしたり、
ただ、宿のベランダから景色を眺めていたり、
もちろん、洗濯したり、ご飯を食べに行ったりもしたが、
出来るだけ、村人たちと、お年寄り達と
同じ時間で4日間を過ごした。

きっとこういう時間の使い方が、歳をとってからしか出来ない
贅沢な時間の楽しみ方だと思う。

僕らはゆっくりと贅沢な時間を楽しんだ。

日本に居ると、休みの時も何かしらに追われ、
時間を贅沢に使う事は、年に何日かしか出来ないけど、
こうして旅をしていると、
時間の流れをゆっくりと感じることが出来る。

「旅は毎日がローソクの火を見ているよう」
俺の大好きな旅人で、鉄さんという人が言っていた言葉だ。


時間がゆっくり流れ、耳を澄ませば自然の音が聴こえてくる。

鶏の声で目を覚まし、
子供たちの声が聞こえてきて、
一日の始まり、

色んな音が聞こえ、
今日と言う一日がそこにある。

エクアドルで1ヶ月過ごし、
本格的に南米突入の準備は出来た。

次はペルーへ向かいます。

2008-10-07

Road of Andes




僕らはアンデス山脈の広大な景色を見ながら、
次の村ビルカバンバまでバスで向かった。

言葉や写真では伝えられないほどの景色、
生きている地球の素晴らしさ、人が作り上げた
美しさではなく、自然からの生命が伝わってくる、

本当に空が青かった。
雲が綿菓子のように真っ白で
風が雲を躍らせ
アンデス山脈が聳え立っていた。






いくつかの村を抜けて、僕らはビルカバンバまで走っている、

民族衣装を着た男女、
小さな子供たちまでが真っ黒な髪を伸ばし、
後ろで三網をして、帽子を被っていた。

その姿を見ると、何かを主張しているかのように
誇らしげに村を歩いていた。

見ているだけで、絵になりかっこ良い、

小学生くらいの小さな男の子が髪の毛を束ね、
自分の前に、妹らしき5歳くらいの子を乗せ、
オフロードバイクに乗り、
僕らの走るバスの横を通り過ぎていった。

その目は、何処までも続くこの道の先を見つめて
走り去った。

忘れられない光景、
あんなに小さい子なのに輝いて見えた。



そして、バスでアンデス山脈を走ること6時間、
コーヒーで有名な町ロハヘ着き、バスを乗り換え、
エクアドル長寿の村、ビルカバンバへ夕方到着した。
気持ちの良い、素晴らしい景色の道のりだった。

沢山の道を僕らは走ってきたが、
アンデス山脈に入ると景色が一変して
地球の上を走っている気がする、

何処までも続くこの道は
いつまでも変わることなくきっと走り続けるだろう。

そして、まだまだ続くこのアンデスは
きっと沢山の顔を僕らに見せてくれるはずだ。

2008-10-05

Santa Ana de los Rios de Cuenca


アンデス山脈の谷間、標高2600メートルの高地にある
エクアドル第三の都市、サンタ・アナ・ロス・リオス・クエンカ。

僕らはバーニョスからリオバンバへ行き、そこで乗り換えクエンカへ
向かった。時間では8時間のバス移動、久し振りの
アンデス山脈を走るルートは中米とは違い、スケールのでかさを
この身で感じ、いよいよ始まった南米アンデス縦断の大きさを
魅せつけられた。

空の青さ、雲の動き、空気の冷たさ、空に近づいた感じ、
これがアンデスから出ている命なのか、これから続くアンデスを
想像するだけで僕らは鳥肌が立ち、地球の鼓動を感じた。

そして気が付けば夕暮れ時になり、
僕らは、先住民が周りに住んでいる都市クエンカに、
19時ごろ到着した。




バスのターミナルで、宿をどうするかみんなで決めていたら、
ちょうど、一人の男性に声をかけられた。

一泊6ドル、共同キッチン、共同シャワー、僕らも2泊だけなので、
とりあえずバス移動の疲れと、お腹が空いていたので、
その男性の宿へ泊まる事にした。





翌朝、街に出てみると、夜見た感じとは違い、雰囲気の良い街で
明らかにキトとは違う空気が流れていた。

僕らは2日間、ひたすら街を散歩した。

情報はゼロ、一つだけ情報で、日本人の元医者?が経営している
喫茶店があると言うので、そこで情報を聞こうとして、行ってみたが、
休みだったのか閉店したのか、店は営業しておらず、結局情報は
ゼロのまま、僕らは2日間街プラを楽しんだ。

エクアドルと言われれば、間違えなく、ここはエクアドル第三の都市、
でも、この街は危険な感じもせずに、人も良く、街も全体的に綺麗で
久し振りに大きな街でゆっくりした時間が流れていた。

街を歩けば民族衣装を着た先住民とすれ違い、
お洒落なカフェがあればカジュアルな服屋もあり、
沢山のレストランから電気屋、もちろんメルカド(市場)、
全てがそろっている街、クエンカで、この街で育った人達は
きっとこの街を愛し、他の街へは行かずに、ここで生涯を
過ごすのかと感じた街だった。